このドキュメンタリーは、いっさいの情緒的なものを拒絶しているように、わたしには思える。
ヒューマニズムさえも。
そのようにして、ひたすら生命(いのち)の有り様を追い続けたカメラの目は、わたしたちに生命の尊厳について、深いところまで考えさせる力を獲得した。
わたしたち日本人の生活まで根こそぎ考えさせる力を持つに至っている。
灰谷健次郎(作家)
生きることがどんなに過酷でも、人はこんなにも美しく生きることができる。
この事を心の底まで届けてくれた一作目。「忘れられた子供たち-スカベンジャー」を覚えていますか。
ゴミの山で、ゴミを唯一の糧として暮らす子供たちが、それでも青春を謳歌し、恋をし、結婚し、子供を産む。営むということはこういうことだな、としみじみ思い涙があふれてしかたがなかった。
そして二作目「神の子」だ。
ゴミの山の崩落からはじまるこの記録映画は、そんなセンチメンタリズムをはねのける壮絶さで生きるための戦いをつきつける。今日の苦しさを越えさせるものは、生きようとする生命の力より他にはない。
新しい生命の誕生を願い、家族の明日を夢見るまっすぐな想いを子供は表情に、言葉に、その大きな目にためて、私たちを見つめている。この視線から目を逸らすことは出来ない。 それだけの覚悟を私たちに要求する映画だ。
加藤登紀子(歌手)
被写体と同じ目線で撮られた今回の作品に同じ人間の愛情、怒り、悲しみを共有します。
吉田ルイ子(フォト・ジャーナリスト)
自分達がどの位恵まれているか。ことばは不要。この映画を見て下さい。
大宅映子(評論家)
映画が始まった時、彼らは遠い世界の人達だった。しかし、観終える頃には、私と彼らはひとつの家族となっていた。
葉祥明(絵本作家)
生き抜く希望と生きる歓びに溢れている。わたしたちは、絶望などと軽くいってはいけない。
鎌田慧(ルポライター)
衝撃的な映像でした。特に若い世代に見せたい、見てもらいたい、と思いました。
早乙女勝元(作家)
私はこの映画から何を見、考え、感じればいいのか。自分の存在の足もとがゆらぐ。
小林茂(ドキュメンタリー映画カメラマン・監督)
病児アレックスの瞳が画面から問いかけてくる。「この現実はなぜなの?」と。
松下竜一(作家)
一生懸命生きれば命が輝き、人は人を救う神さまになれる。人を成長させる映画を観た。
立松和平(小説家)
ねばり強い取材と人間の尊厳へのかぎりない信頼に感服しました。
黒木和雄(映画監督)
だれのために、だれと向き合い、だれの立場で、書くのかを、ずっと考えてきた。それは人間として忘れてはならない問いだと思うから。
この映画は、そんな僕を混乱に追い込む。
人をも呑み込むゴミ山の向こうにマニラの高層ビル街が見える。
その向こうに日本が見える。
本田雅和(ジャーナリスト)
「餓死をしても悪いことはしない」とゴミを拾い頑張る少女。人間愛を描いた素晴らしい記録。
石川文洋(報道写真家)
二十世紀の難民の死と再生が触診記録として表現された。子供の涙は世界を刺す。傑作だ。
小池征人(記録映画監督)
悲しいわけじゃない。でも、涙が止まらない。
鎌田さゆり(衆議院議員)
苦しんでいる人々の、必死に生きる人々の問題を見ないこと、話さないこと。
社会の汚物を処理している子供たちに、目を向けないこと。
悪臭の中で死んでいく、このような子供たちに。
それは彼らを再び辱めること。
それは二重に彼らを殺すこと。
ここにカメラマン達の目線がある。
写っているのは他人の悲劇ではない。
手を差し伸べなかった我々の冷酷さである。
ドミニク・レギュイエ(国境なき医師団日本事務局長)
まことに悲惨な現実である。
前作の「スカベンジャー/忘れられた子たち」もじつに辛い厳しいフィリピンのゴミ拾いの子たちの生活を描いたものだったが、あのスモーキー・マウンテンが閉鎖されたあと、場所を変えてさらにいっそうの悪条件の中を生きる人々の生き方を追ったこの映画では、悲惨さも前作以上になる。
前作が黒白だったのにこんどはカラーになっているのも、いっそう、ありのままに徹しようとする作者たちの肝のすわりかたを示すもので、壮烈でさえもある。
しかしもちろん、これはただ悲惨な現実の一断面を示すだけのものではない。悲惨というだけなら今日のニュースはそれでいっぱいである。この映画にはそれ以上のものがある。現にそういう現実を生きている人たちの日常の言動が共感をこめて丁寧に写しとられているのである。
そしてそこには、人間的なつつましい誇りや家族愛や隣人愛が自ずからにじみ出ており、それはその状況の厳しさとひき較べてみると殆んど信じ難いほどに純な美しいものと感じられる。
人間の真の素朴さというものがくっきりと浮びあがり、厳粛な気持になる。
たいへんな映画である。
佐藤忠男(映画評論家)
物質的豊かさを追求してきた間に日本人が衷失した家族の絆や生命の尊厳を深く考えさせられた。
石澤清史(環境省・環境カウンセラー)
このような類の映画を私は始めて見た。フィクションではないリアルな映画。
冒頭から多くの人の死を見せつけられ、何度も目を伏せた。
これが現実であるとは思いたくなかった。
しかし、それと同時にその“現実”の中で生きている人々のたくましさに驚いた。“人々”といっても私よりも5つも下の子たちだ。
彼らはいつでも前向きに見えた。
笑顔で大人に接し、誰よりもたくましい。
しかし、本当にそれだけだろうか。“前向き”“笑顔”“たくましさ”…。
自分におきかえるとそれだけでは、とてもじゃないが耐えられない。
映画を見終わる頃、私の中で色々な感情が生まれた。
しかし、それは言葉に表そうとすると、全て安っぽくなってしまう。
ただ一つ言いたいのは、私と同じ年代の人々にぜひ見て欲しいという事。そして見慣れないドキュメンタリー映画にぜひ心を動かされた若者がここにいる事をわかってもらいたい。
清水真実(女優)
この映画を見るわたしたちは、まったく環境の違う世界にいる。けれど、この「神の子たち」には、わたしたちが共通に持っている人間の《痛み》と《愛》が、地中に深く張った頑丈な根のように画面の随所から溢れ出ている。それだけに、いつの間にか画面に引き付けられ、のめり込んでいく。
こうした記録映画が作れたのは、そこに住んでいる人たちと一緒になって撮り続けたからに違いない。けれど、歳月を掛けて仕上げていくということは、精神的にも体力的にも、どんなにかエネルギーを要したことか。想像を絶するものなのだろう。ゴミにまみれながら、ゴミで生活する人たちの心を描こうとした製作者たちの感性の豊かさと、立脚地点の確かさが伝わってくる。
このドキュメンタリー映画は、人びとが必死に生きようとしている凄さと美しさについて、見るものに深く問い掛けてくる。
大石芳野(フォトジャーナリスト)
あの前作、「忘れられた子供たち/スカベンジャー」から六年経って、さらにパワーアップした四ノ宮浩監督が、「part2」を携えて戻ってきた。
前作を作るのにも六年かかった。この人の執念と気の入れようには恐れ入る。だが、この新作「神の子たち」は単なる続編ではない。撮影の場所も、登場する人物たちも、前作とは別だが、それよりもはっきり言って、前よりはるかに作り手の視点が定まり、研ぎすまされ、訴求力の強い作品となっている。レンズにたとえれば焦点深度が深まっている。
貧困の極限状況を描きながら、それを悲惨一方とは見ず、そこにこそ存在する人間の絆と輝きを見ようとする視点は変わっていないのだが、それがより腰の坐った、説得力のあるものになっている。
人は何によって、何のために生きるか、それを見失いがちなこの国の人たち、なかでも子どもたちと若者に観ても らいたい映画である。
筑紫哲也(ジャーナリスト)