ドキュメンタリー映画「神の子たち」
Documentary Film "God's Children"

監督ノート

ニーニャ 写真
「私は泥棒するぐらいだったら飢え死にしたほうがましです」

この言葉はフィリピンケソン市郊外にあるパヤタスゴミ捨て場に住むニーニャ(12歳)にインタビューした時の言葉である。僕は2000年2月からこのゴミ捨て場に入り、ドキュメンタリー映画「神の子たち」を撮影し、日本では2001年11月から映画が公開された。
最近、アフガニスタンの復興計画が声高に叫ばれているが、僕の中ではどうしてもごみ捨て場で生まれ、そして死んでいった子供たちのことが頭から離れないのである。

フィリピンの社会状況はというと、マニラ首都圏では青年男女の失業率が50%以上、スクワッターと呼ばれる政府や他人の土地に住む不法占拠者が7割といわれる。一般の大学を出た普通の女の子の就職先の希望がファーストフードのお店に働く事という国なのである。
当然、ごみ捨て場で働く子供たちはたとえ大学を卒業したってまともな仕事なんてありっこないといつしか思い始め、大体が途中で学校をやめてしまう。それに血縁をもっとも大事にするフィリピンにおいて、ゴミ捨て場に住んでいるという事は頼れる親戚がゴミ捨て場にしかいないという事もいえる。
ゴミ捨て場の住民の生活はというと早朝、日の出とともに目覚め、各々が好きな時間にごみ捨て場に向かい4,5時間働き、再生可能なビン、缶、鉄、真鍮、スクラップなどを集め、そのごみをジャンクショップと呼ばれるごみを買ってくれる所に売り、なんとフィリピン人の平均日給200ペソ(日本円で600円)を稼ぎ、一家4人家族が1日ようやく3食食べていける世界なのである。
しかし、この地にはいつも多くの子供たちの笑い声がこだまし、僕はここでだれにもお金をくれとせがまれたことがないのでもある。

ニーナ一家の食事
僕はある日、ゴミ捨て場で知り合いになった女の子にある質問をした。
「今あなたは幸せなの?」
その子は「いつも家族が一緒で一日3回食べていけるから幸せです」こう答えてくれた。

多分、彼女はこのゴミ捨て場に生まれ、育ち、死ぬまで住み続けなければいけない宿命を当たり前のように受け入れ、金持ちになるといった夢やいろいろな欲望がもてないからいえる言葉なのかもしれない。

映画撮影開始後、その世界が一変する出来事が起きた。
映画がクランクインした1週間後の2000年7月10日、ゴミ捨て場で崩落事故が起き、なんと1000人もの人々が生き埋めになった。そして、5日後には住民の生活の糧であるごみの搬入が再度の崩落事故の危険があるため止まったのである。
しかし、カメラは住民の「生と死」の壮絶な戦いを撮り続けていった。

映画の主人公の一人二―ニヤ一は当然お金を稼ぐことができなくなり、ゴミ捨て場の斜面に植えた芋を主食にしながらも、澄んだ瞳で答えてくれたのが冒頭の言葉である。
そして4ヵ月後、ゴミの搬入が再開され、住民は口々に喚起の喜びの叫びをあげた。
「俺たちはゴミがあればあとは何一ついらないぞー」

パヤタスゴミ捨て場の少女
そして今、全国で映画が上映されはじめ、パヤタスゴミ捨て場にも観光客や援助団体がいくようになったとの風の噂を聞くにつけ、僕はホッとした半面、あるひとつの心配が頭に浮かんでくる。

ゴミ捨て場の子供たちの澄んだ瞳はあのままなのかどうか。あのパヤタスゴミ捨て場の子供たちの瞳が、観光客や外国人を見ると「この人、何をくれるんだろう・・・」といった目線になり、自分の家族の事を自分以上に思い続けていたあの自立した誇り高き瞳が曇ってはいないかという事である。
また、ゴミ捨て場の子供たちが今も幸せを感じているのだろうか。
所詮、人間なんて飯が食えると次は病気の薬がほしくなり、次は子供を学校に行かせたくなり、次にはまともな家がほしくなる。

人間は夢や欲望を満足させるまで幸せを感じれないのかもしれない。

四ノ宮 浩
2002年 2月

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