ドキュメンタリー映画「神の子たち」
Documentary Film "God's Children"

公開日記

映画「神の子たち」公開にむけての思いを四ノ宮監督自身が書き綴ります。

ご報告

ニーニャ 写真

皆様 長い間お待たせしました。 四ノ宮監督写真ようやく、皆様のおかげで映画[神の子たち/忘れられた子供たちPART2]が完成しました。 思えば2000年2月からロケハンでパヤタスごみ捨て場に住み始め、映画の主人公を探していましたが見つからず、ようやくこの子を撮りたいと思える子供たちに出会え、クランクインしたら、1週間後の2000年7月10日AM8時にパヤタスゴミ捨て場の崩落事故が起き、多くの人々が犠牲になりました。

神は僕たち撮影チームに何を撮らせたいのか

確かに、撮影前の予定では今回の映画はごみ捨て場にいる障害のある子供たちのドキュメンタリー映画になるつもりでした。しかし、ロケハン中に毎日毎日障害のある子供とその家族に接していくうち、僕の中では障害があるとかないとかの垣根がすっかり取れていきました。多分、僕自身はその子供の家族に近い感覚になっていたと思います。だから、今回の主人公たちは障害のある子供もない子供もいます。

また[忘れられた子供たち/スカベンジャー]ではスカベンジャーの子供たちの日常生活が主な内容でしたが今回の映画では崩落事故5日後にごみの搬入が止まり、住民の生活手段のごみがなくなりましたが人々は僕の予想を覆し、だれもがみんな正々堂々と胸を張って懸命に家族の絆を強めながら強い意志で生き続けていきました。

僕たち撮影チームはその瞬間、その一瞬の美しさをこの映画でつむぎ撮りました。ですからご覧になる方は僕たちが体験した撮影期間6ヶ月の事を追体験されることと思います。

最後に僕は今回パヤタスゴミ捨て場の住民から多くのことを学びました。
前作の時には第一印象でスモーキーマウンテンが地獄だと思いましたが、今は違ってきました。
みんなの仕事は廃品回収業だけの事で特殊な人間ではなく特別な存在でもないのです。
パヤタスゴミ捨て場のみんなはごみがこなくても誇りをもって、人間的に生きていきました。
僕自身、今、日本人の方が偉いとも思えないし、おかしい生き方をしていると感じています。

僕はこう思います。人の心を動かし、社会をよりよく変えていくきっかけになるのが映画であると。だから僕は映画をつくり続けます。耐えて耐えて耐え抜いて次回作の映画をつくります。

2001年6月吉日
「神の子たち」
監督 四ノ宮浩
今現在も彼らはゴミを拾って生活をしている。

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ついにドキュメンタリー映画「神の子たち」公開日記が始まります。

公開日記1

先日の7月14日フィリピンマカティ市のルイスシネマで「神の子たち」のお披露目上映会が開催された。見に来ていただいた人々はフィリピンに住む日本人や日本人学校の生徒および映画の撮影現場になったパヤタスゴミ捨て場の主人公や住人達だったという事です。というのも僕自身は行きたかったがどうしても都合がつかず、フィリピンに住む「神の子たち」の撮影監督瓜生さんに任せてしまったのだった。次の日、彼から国際電話を貰った。「パヤタスの住民はみんなとても満足していたよ。ぜひ今度はぜったい神の子たちをアョロ大統領はじめフィリピン政府関係者に見せて【パヤタスの現実】を知らせてくれと言われたのでその上映会も開くよ。」と言われた。僕はその話を聞いて久しぶりにとてもうれしくなり、思わず涙がこぼれそうになってしまった。あー。映画を作って本当によかった。

この映画はひょっとするとフィリピン政府を動かしていくかもしれない。よし、僕もあと一踏ん張りして映画「神の子たち」が一人歩きできるまでスタッフみんなで力を合わせて頑張っていくぞ。それにしても映画自体は力がありそうだ。11月6日からは東京のロードショーも決まった。(恵比寿ガーデンプレイス内東京都写真美術館ホールで一日4回上映されるのでこの日記を見た方は絶対僕からチケットを買ってみてください。個人のメールアドレスはE-mail:kaminoko@mac.comですので予約枚数書いてメール下さいませ。また僕を励ましてくれるご意見ご感想あとはご批判等なんでもお寄せ下さいませ)

神の子たち監督 四ノ宮浩

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神の子たち公開日記2

ニーニャ 写真

ニーニャとその家族の写真

僕は今、【神の子たち】を完成させて思う。 パヤタスゴミ捨て場の住民はよくぞ生活の糧であるゴミが来ない4ヶ月の間、耐えに耐えて生きつづけてくれた。

「人間とは、もううしろがない断崖絶壁(絶体絶命)の状況になり、【死】というものを意識すると、前向きに生きるのかもしれないと・・・・そして、家族とは大変であればあるほど、家族の絆を強めていくのかもしれないと・・・・」

この映画の最後の3カットは撮影させていただいた3家族の家族写真で終わっています。

この写真は映画の主人公ニーニャ(12才)とその家族です。 彼女たちの4ヶ月間は誇り高き生き方をしていました。

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公開日記3  2001年7月31日

本当に映画の推薦文をお寄せ頂いた筑紫哲也さん、加藤登紀子さん、灰谷健次郎さんはじめ多くの著名な方々に感謝いたします。どうも最近、大変な事が多いせいなのか、推薦のお言葉を頂くごとに感動してしまい、涙もろくなったような気がします。この事はまたいずれ公開日記に書かせていただければと思っています。

イヤー、本当に1本の映画を撮る事って大変です。そして今回はこの映画「神の子たち」が一人歩きできるまで頑張らないといけませんのでもっともっと言葉には表せないぐらいの大変さです。

でもまたうれしい事がありました。
7月27日フィリピンで第二回目の「神の子たち」の上映会がケソン市のシャングリラプラザという所でおこなわれました。またまた400人の方達に見てもらったということです。(僕は今回も東京でいろいろとこの映画の宣伝活動他いろいろとしなければいけないので本当に本当にいって映画の主人公たちと一緒に涙を流したかったけれど行けませんでした)

来た人の内訳は日本人200名、撮影現場のパヤタスゴミ捨て場の住人100名、それにフィリピン人100名とのことです。そしてみんな感動していったとの事でとくにパヤタスの住民はこの「神の子たち」をどんどんフィリピン国内で上映してパヤタスの状況をぜひフィリピン政府に見せてくれとの要請を受けたとの事でした。

というのも、パヤタスゴミ捨て場では大小2つあるゴミ捨て場がありましたが、去年の7月10日の大きなゴミ捨て場の崩落事故以来、一年もの間、大きなゴミ捨て場にはゴミが捨てられていないし、現在、小さなゴミ捨て場でさえ閉鎖の動きがあるみたいなのです。(そんなことになったらみんな飯が食えなくなってしまいます)

だから僕たちはマニラ在住の「神の子たち」撮影監督の瓜生ちゃんはじめい多くの協力して頂いている方々と共にこの映画のフィリピンでの上映活動を今後もしていきます。ぜったいにフィリピン政府を動かすまでは。

また今回の映画では資金面で京都在住のUさんのご協力なくしては完成しなかったと思います。というのも今回の映画総製作費は宣伝費も含め6000万円の予算でした。そして僕は共同製作の日本ユネスコ協会連盟のTさんがいった言葉
「製作費はうちで集めるから心配しないで下さい」
という言葉をずっと信じ待っていましたが、全然集めてくれないのです。(今現在、ようやく寄付として集まった金額は1400万円で、そのほとんどが前作「忘れられた子供たち」の支援していただいている方々からの寄付です。本当に皆様のおかげで映画ができました。感謝させていただきます)そして僕はうちの支援者であるUさんに相談しました。
「このままでは映画ができなくなりますのでぜひ製作費の一部を貸して下さい。必ず返しますから」と。
そしてUさんはわかりましたとおっしゃって大金を貸してくれ、ようやく映画がクランクインできた経過があるのです。だから僕は京都に足を向けて寝れないのです。Uさん、お支払いが送れてすみません。日本ユネスコ協会連盟のTさんもこれから懸命になって製作資金残5000万円を集めてくれるといっていますのでもう少しお待ち下さい。もしまたTさんが約束を破るようなら僕が許しませんから。

パヤタスゴミ捨て場に住む子供たちの写真

パヤタスゴミ捨て場に住む子供たちの写真

僕たちはぜったいにこの子たちの姿は忘れない。 僕たちは映画「神の子たち」をフィリピン政府に見せつづけ、みんなの生活環境をよく変えるぞ。

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公開日記4  2001年8月29日

これがチラシの表と裏です。
神の子たちチラシ表裏

神の子たちチラシ表裏

神の子たちチラシ表裏

皆さん久しぶりです。
ようやく何とか映画のチラシもでき、公開に向けてこれからどんどん頑張ってチケットを売っていこうとしているところです。 (僕のノルマはなんと一万枚ですのでみなさんご協力してくださいませ。僕から電話あった方は日記見たよーといって励ましてくださいませ)

また、昨日は石川県の七尾市で2日間に渡り上映会があり行って来ました。初日だけの出席でしたが平日の夜にもかかわらず200人近い人々で会場が埋まりました。そして、映画の上映会が終わって主催者の方々と一席設けていただきました所、本当にうれしい事に皆さん映画を見て結構泣けてしまったといわれました。

僕の気持ちは「あー、結構苦労した甲斐があってよかった―」といった事でしょうか。 これからまた頑張っていろいろな方達に電話します。それではー。

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