ドキュメンタリー映画「神の子たち」
Documentary Film "God's Children"

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New York Times レビュー

FILM FESTIVAL REVIEW | 'GOD'S CHILDREN' (March 28, 2002)
A Hell on Earth, Lived by Children and Parents

By STEPHEN HOLDEN

フィリピンのケソン市郊外、パヤタスゴミ捨て場で苦しい生計を営む3家族の姿を、冷静な眼差しで追い続けたドキュメンタリー映画「神の子たち」。
栄養失調、病気、高い乳幼児死亡率、まさにこの世の生き地獄としか思えないそのゴミ捨て場で、登場人物は皆、人間の素晴らしい尊厳を見せてくれる。

パヤタスでゴミを拾う子供 映画を観終わった後に私たち観客は、人間の底力、この最低劣悪な環境でも生きる喜びを見つけ出す人間の可能性というものに、ほとんど畏敬の念を抱くことは確実だ。
しかし消してお涙頂戴の代物では終わらないところが、この映画の凄さである。

監督の四ノ宮浩にとっては前作の「スカベンジャー:忘れられた子どもたち(1995年)」に引き続き、フィリピンのゴミ捨て場を題材にした連作第2作目となる。前作は1995年の11月、フィリピン政府の命令によって撤去されるまで、アジア最大のスラムとして名を馳せていたスモーキーマウンテンが舞台となっている。

パヤタスゴミ捨て場 一方で今回の映画の舞台となったのはパヤタスゴミ捨て場。スモーキーマウンテンから一字をもらい、通称スモーキーバレーと呼ばれ、毎日3000トンのゴミが運び込まれてくるゴミ捨て場。その周りには18,000家族ほどが暮らし、その住民のほとんどが貧しい農村から出て来たスクワッターと呼ばれる不法滞在者である。そこでは住民一人一人が、カンやアルミニウムなどのゴミを拾ってはディーラーに売り、最低限の生活費をやっと稼いで暮らしている。4歳の子どもまでが、朝早くから夜遅くまでゴミを探し歩いて回るのだ。

そして2000年の7月、映画のクランクイン直後のこと、大きな台風の影響でゴミ捨て場が崩落、死者1000人、500世帯が壊滅という大惨事が起きた。茶色く濁った川の水、瓦礫の中から出てくるゴミにまみれた死体、それらが続くシーンはまさに筆舌に尽くしがたい。

崩落から5日経ち、フィリピン政府は安全性の観点からゴミ捨て場へのゴミの搬入をストップした。生きる手段を奪われた住民たちは、搬入再開を要求してデモ行進で対抗し、結果、2つの小さなゴミ山に限ってゴミの搬入が再開された。崩落後1ヶ月もの間、発見されずに埋まっていた死体が自然に燃焼し、ものすごい腐臭があたりを覆い尽くす。

映画の大部分は、ゴミの来なかった6ヶ月間、必死に生活を続けた、ある3家族の姿を追っている。主人公の一人、ニーニャは12歳で、両親と兄弟と共にゴミ捨て場に暮らし2年になる。ゴミの搬入が止まってから、ニーニャの家族は家族全員の食料を、丘に植えた芋だけに頼る生活を強いられた。

アレックス 水頭症を患う5歳児のアレックスは最も悲しく映る。アレックス一家(父・母・二人の姉)も、近所から借りた、もしくは分けて貰ったわずかな米で、この危機的状況を切り抜けるが、ついに父親は肩を落として「家族に食べ物を与えるために近所の家から鉄板を盗んで売ってしまった」 と告白する。

そして27歳のノーラは結核患者である夫と、6歳になる娘マルセルとゴミ山のふもとに暮らしている。早期流産によって自分の赤ん坊を亡くしたノーラのやり切れない悲しみに、カメラは照準を当てる。

こういう瞬間に観客は、映画のなかの凄まじい生活と、自らが知らないうちに引き起こし、または巻き込まれている”搾取”の悪循環にハタと気付き、どうして良いかわからなくなる。それでもカメラはノーラの涙に濡れた顔からなかなか焦点を外さない。
「神の子たち」はニューヨーク現代美術館で今夜と土曜日の午後上映される。

ラストシーンで、作り手は水頭症のアレックスにこう質問する。
「君は将来何になりたいの?」
多くの人がこれは彼にとって酷な問いかけだと思うだろうが、作り手はそのような苛酷な問いかけを 自らに課しているのだ。

翻訳:今井美佳

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人の命をめぐる「無限の不正義」

自我作古(第263回)筑紫哲也

週刊金曜日 2001.9.28 (381号)

「そのことはまたいずれ書きたい」と言っておきながら、それが果たせないままの事柄がいくつもある。次から次といろいろなことが起きてしまって応援のいとまなし、が主因だが、持ち前の怠惰と移り気のせいでもある。
そのひとつ、361号(5月18日)本欄で取り上げた四ノ宮監督のドキュメンタリー映画(「忘れられた子供たち2001」が改題されて「神の子たち」となった)についてのその後に触れておきたい。

9月23日に東京・有楽町の朝日新聞会館(マリオン)で上映会とシンポジウムが開かれ、私もパネリストの一人として参加した。聴衆に若い人が多かったのがこの種の催しとして異色だった。

常時公開は11月6日から東京都写真美術館ホール(恵比寿)で始まるが、それが示しているように、記録映画は劇映画と違って常設映画館からは締め出し同然。求めに応じて上映会の形で全国展開することになりそうだが、「求め」てくれる受け皿がないと成り立たない方式である。
もし、その可能性がおありの方、あるいは周囲にそういうグループ、組織がありそうだったら、ご一考いただけるとありがたい(問い合わせはオフィスフォー・プロダクション、電話03・3354・3869、ファクス03・3354・3902)

フィリピンの首都マニラのごみ捨て場通称スモーキーマウンテンで生きる人たちを描いた前作「忘れられた子供たち(スカベンジャー)」(1995年)に続いて、そこが閉鎖されて新たなごみ捨て場となったケソン市パヤタスの通称スモーキーバレーに生きる人たちが主題だが、単なる続編でなく、むしろ前作より秀れている部分が多々ある作品である。

さて、それがようやく公開されることになった時、世界はアメリカで起きた同時多発テロをきっかけに騒然としている。2001年9月11日を境にして、世界はそれ以前と同じではありえないと言われ、私がやっている番組での特集タイトルも「世界が変わった日」である。
それほどよい方向には変わらないだろうという予感をこめて、ではあるが。

そこでシンポジウムの最後に、私は四ノ宮監督に訊ねた。
「あそこ(ごみ捨て場)に住む人たちにとって世界は変わりますか」
「変わらないでしょう」と監督は即座に答えた。
どうやって一日三度の食事を確保できるか、極限状態に近いなかで生きることに必死な人たちには、外界で起きていることにかまう余裕はない代わりに、安定、安全な日常がおびやかされるのではないかという不安もない。

だが、同じく極限状態でもアフガニスタンではちがう。
30年ぶりの大干魃に見舞われているそこでは、国連の世界食糧計画(WFP)の報告でも1200万人がその影響を受け400万人が飢餓線上にあり100万人の餓死者が出ると推定されている。そのWFPをふくむNGO(非政府組織)の救援活動は、近く始まると予想されているアメリカの報復軍事行動のために、国外撤去が進んでいる。
住民たちの脱出、非難も始まっているが、逃げたくても逃げられないのは貧しい人たち、病人、幼児など「弱者」たちである。そこで戦争が始まれば何が起きるかは明らかである。それでなくても地獄なのに"最後の一撃"が加わることになる。少なく見積もっても、アメリカのテロでの死者の100倍の死者が出ることになるだろう。

この死者たちに対しては、有名歌手・スターたち総出の追悼・募金テレビ番組もないだろうし、戦う双方の報道管制の下で、その事実すら隠されるおそれがある。

人の命は国籍、民族、人種、地域によって軽重があるという「無限の不正義」がまたもや起きようとしている。

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貧困の中の誇りを撮る

時 比で撮影「神の子たち」

2001年11月2日(金曜日) 夕刊読売新聞

悪臭が漂い、ハエが飛び交うゴミの山で、十二歳の少女が黙々と資源ゴミを集めている。もう何日もろくな食事をしていない。それでも彼女は言う。「盗みをするくらいなら、飢え死にしたほうがまし」

フィリピン・ケソン市のゴミ捨て場に暮らす人たちの記録映画「神の子たち」が、六日から東京で上映される。現地に半年もの間住み込み、カメラを回し続けた四之宮監督(43)が伝えたいのは、貧困の中で暮らす悲惨さではない。誇りを忘れず、ひたむきに生きる人々の姿だ。
ゴミ捨て場を舞台に映画を撮るのは、九五年に完成した前作「忘れられた子供たち(スカベンジャー)」に続き二作目。日活ロマンポルノでデビューし、企業の宣伝映画なども製作しながら、どこか満たされない思いがあった。題材を探しに訪れたマニラ市郊外のゴミ捨て場の居住地「スモーキーマウンテン」(九五年撤去)で子供たちの澄んだ瞳に魅せられ、初めて心から「撮りたいのは、これだ」と思った。

ゴミを唯一の生活の糧として暮らす若者の青春を描いた一作目と異なり、今回は三人の主人公の家族の生活を丹念に追った。生きることそのものが困難な状況で、より強く結ばれる家族の絆があることに新鮮な驚きを覚えたからだ。豊かな日本でぬくぬく育った、自分の心のすき間を埋められる気がした。
だが、安っぽいセンチメンタリズムで彼らに正面から向かい合うことはできない。撮影中には、降り続いた雨でゴミ山の地盤が緩み、数百世帯が生き埋めになる崩落事故も起きた。夢中でカメラを回す撮影クルーに、地元住民は「(救出を)手伝えっ」とどなった。三日間も何も食べられない人が「何とかしてくれ」と詰め寄ってくることも日常茶飯事だった。

主人公の一人、ノーラ(27)は男の子を産んだが、未熟児で生後六日目に血を吐いて死ぬ。水頭症の少年アレックス(5)は、床をはいずりながら「学校に行きたい。字が書けるようになりたい」と神に祈った。
生と死が混在する現場で、四ノ宮さんはなぜここにいるのか、彼らのために何ができるのか考え続けた。
被写体の現実を変えてしまう援助は出来ないが、ありのままの姿を撮るために、"いい人"でいなければならない場面もある。命にかかわる時には、手を貸そうと決めた。映画を撮ることが、長い目で見ると支援になると信じている。

この映画を、日本の若者に見てもらいたい。「愛情や怒り、悲しみを一緒に感じてほしい。同じ世界に生まれた"神の子"として」(小林篤子)

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透徹した眼差しのドキュメンタリー

時 比で撮影「神の子たち」

2001年11月5日(月曜日) 朝日新聞(夕刊)

かつて、小説家であると同時にすぐれたノンフィクションの書き手でもあった開高健が、ドキュメンタリーには運が必要だと言っていたことがある。確かに、ドキュメンタリーには「運」としか言いようのない偶然が思いがけない高みに連れていってくれることがあるのだ。

この「神の子たち」はフィリピンのゴミの山に生きる人々を描いたドキュメンタリーである。6年前、「忘れられた子供たち」でスモーキーマウンテンに生きる子供たちを描いた四ノ宮浩が、新たにもう一つのゴミの山に向かい、前作以上に透徹した眼差しのドキュメンタリーを撮り上げた。
四ノ宮浩がクランクインした直後、台風に襲われたゴミの山は崩落し、1000人を越す人々が生き埋めになってしまう。フィリピン政府はそのゴミの山を閉鎖し、ゴミによってその日の食費を得ていた住人は、食うや食わずの状態に追いやられることになる。
この出来事に遭遇したことが、四ノ宮のドキュメンタリーの方向性を変え、結果的に求心力のある緊張感に満ちた作品を生み出させることになった。
ゴミが途絶えることは飢えることと同義である。その過酷な状況の中で、親も子も生きのびるための悪戦を余儀なくされる。金目のゴミの取り尽くされたゴミ山を歩き、なんとかして米代を稼ごうとする親がいて、健気にも「おなかがすいても泥棒はしたくない」という子供がいる。
やがて私たちは、そうしたゴミの山の存在の是非や行政の無策に対する憤りなどというものを超え、そこに生きる人々と同じく、ただひたすらゴミが来ることを待ち望みはじめていることに気づく。ゴミが来さえすれば彼らは生きのびられるのに、と。

この作品が観る者をしてそのような思いにさせるほどの力を持ち得たのは、撮る対象に付きすぎず離れすぎないという、四ノ宮の独特の距離感に負うところが大きい。それは「無感動」に接しているというのとは違っている。四ノ宮をはじめとするスタッフが、さまざまに心を動かされただろうことは容易に想像がつく。だが、にもかかわらず、その距離感にほとんど揺れがないのだ。それは日本のドキュメンタリーには極めて珍しいことだと思われる。
また、前作にはあったナレーションを排し、その場の生の音と、そこに生きる人が発する言葉だけで成り立たせようとしたことが強い緊張感を生む原動力となった。ナレーションによって観客の感情に訴えるのではなく、必要な情報を字幕で流すだけにとどめた。そのストイシズムが逆に強い緊張感を生むことにつながった。
ただ、一ヶ所だけその緊張が途切れるところがある。私にはまったく無用と思われる日本語の情緒的な歌を流すことで、それまでの張り詰めたものが一気に緩んでしまうのだ。
この一点を除けば、「神の子たち」は非のうちどころのないドキュメンタリーであるように思われる。とりわけ、最後に現れる水頭症の少年が浮かべる微笑には、誰もが胸を衝かれることだろう。

この作品の四ノ宮には開高健の言う「運」があった。もちろん、この「運」も、四ノ宮とそのスタッフの途方もない忍耐と努力の果てにもたらされたものであることは言うまでもない。

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ゴミ山の「神の子たち」の寓意

ポリティカにっぽん 早野透

2001年11月20日 朝日新聞

アフガニスタン情勢が刻々と動く中で、ヘンリー・キッシンジャー氏が日本記者クラブで会見した。さすがにアメリカの立場を整理して語って明せきだった。

話をかいつまんで言えばこうである。ニューヨークの朝の悲劇への回答はテロリズムの撲滅しかなく、それは妥協のない戦いであり、必ず勝利しなければならないということ、それにはまず「国家とテロリストのきずな」を絶つことだというのだった。

世界には今、テロリストを許し、あるいは暗黙の了解を与え、国内で行動しない限り見逃そうという国々がある。それらの国の存在はもう許さない。そうすればテロリストもただの悪党集団になって片づけやすい。なるほど。それがアフガニスタンの戦争の狙いということだろう。
こんどのアメリカの行動ほど世界から一致して支持されたこともなかったとキッシンジャー氏は語った。何かとアメリカと「対立」したがる欧州、「潜在敵」とも目される中国。こんどはアメリカとのちゃんとした協力体制に入った。日本は、触れるまでもないということか。

歴史家であり実践家であったキッシンジャー氏の話は、世界を上から見下ろしているように雄大だなと感じ入って辞して、急いで議員会館の会議室に向かった。同時刻、パキスタンにいるアフガニスタン難民の男女二人の記者会見が開かれていた。

アムネスティ・インターナショナル日本の招きで来日した男性(50)は歴史、地理の教師で昨年12月、アフガニスタンのヤカオランでのタリバーンによる住民虐殺から逃れ出た。女性(23)は子どものころ、一家でイランに難民として逃れ、いまはパキスタンでアフガニスタンの女性の人権回復運動をしながら、医師をめざしている。

タリバーンが去って次の政権が来ることをどう思うかと聞かれて、男性は「乱暴者が去って泥棒が来るようなものだ」と語った。女性はかつての軍閥が女性たちにどんな仕打ちをしたかを語った。カブールを制した北部同盟がこれからどうするか、以前と同じではないかもしれないが、民衆の恐れを語った。

キッシンジャー氏を鳥の目だとすれば、アフガニスタン難民の二人は虫の目である。キッシンジャー氏は大局、正しいだろう。しかし、アメリカの空爆からアフガニスタンでの権力交代まで、軍事や政治のプレーヤーは踏みつぶされる一匹の虫を忘れがちである。わが日本はどうしたらいいか。なまじっかな鳥になるよりは、やはり虫の運命を思い煩っていく役割がふさわしいのじゃないか。

そんな気分のその夜、東京都写真美術館ホールで上映中の映画「神の子たち」(四ノ宮浩監督)を見た。すごいドキュメンタリーだな、この映画は(30日まで)。

昨年7月、フィリピンのマニラ首都圏のパヤタスごみ集積場で豪雨のためにごみの山が崩れて、そこで暮らしている500世帯が埋まった。掘り起こされる遺体と人々の嘆き。そこから、撮影カメラは動き始める。

人々はごみ山(尋常じゃない大きさだ)から金目のごみを拾うことで生計を立てていた。しかしフィリピン政府はごみ搬入を止めた。それでは人々は生活の糧を失ってしまう。妊娠中のノーラ(27)たちは議会まで「ごみ捨て場再開」のデモをする。

ノーラ一家も、寝たきりの水頭症のアレックス君(5)の一家も、ニーニャ(12)姉妹の一家もとにかく食うや食わずである。ノーラが産んだ男の子は未熟児で死んでしまった。カメラは人々を濃密に追う。こんな暮らしがこの地上にあるんだね。

アフガニスタンの子どもは戦争しか知らないように、ここの子どもたちはごみ山しか知らない。虫は虫であることを知らない。だけど、子どもたちの目は澄んでいる。「人はみな一粒の種。偶然の土に落ちて芽を出す」。加藤登紀子の歌が流れる。

ごみ捨て場の「神の子」という題名にはどういう気持ちをこめたのだろう。この地上の混とんの中で、なお生き続ける人間への希望という寓意(ぐうい)だろうか。 (2001.11.20)

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